七夕の節供

七夕の節供
7月7日は七夕の節供

7月7日は「七夕」と呼ばれる星まつりの節供です。

「織女星」に機織りや裁縫の上達を願った

天の川に隔てられたひこ星(牽牛)と織り姫(織女)の、年に一度の逢瀬で知られる「たなばた」は、ご存知のとおり古代中国の星伝説が伝来した行事です。「乞巧奠(きこうでん)」と呼ばれ、奈良時代の女性の天皇・孝謙天皇が、この節供祭を行ったとされます。「織女星(織姫星)」が輝く「七夕」の夜、宮中で糸や針の仕事を司る奈良時代の宮中の女性たちは御供え物を作り、機織りや裁縫の上達を願ったのです。

梶の葉に願い事を託して

平安時代から室町時代になると、天皇が詠まれた御製(天皇や皇族が書いたり作ったりした詩歌など)を梶の葉に結びつけたり、貴族たちは、梶の葉に願いごとをかいて川に流したともいわれます。天の川を渡る船の「楫(かじ)」となって願いを叶えてくれる、と信じられたとか。もともと梶の木は御神木とされ、神社の境内に植えられることが多く、今でも七夕に梶の葉を供える地域もあるといわれます。

「七夕」の花は仙翁花
「七夕」の花は仙翁花
仙翁花(センノウゲ)は中国原産のナデシコ科の多年草で、『愚管記』(1376)に登場します。
古い「花伝書」には「七夕の花は仙翁花と桔梗」とあり、仙翁花は、旧暦の七月七日頃を盛りにその前後、夏の終わりから秋にかけて咲きます。時期を得て、仙翁花は「七夕花合わせ」の主人公となり、「七夕」は「仙節(仙翁花の節)」などとも呼ばれるようになりました。

「七夕(しちせき)」の節供にいただく素麺

七夕の日には、古くは小麦粉をひも状に練って揚げた「索餅(さくべい)」を食べていました。これが「素麺」の原型だといわれています。江戸時代には「七夕に素麺を贈るは盆の礼儀なり」と記された『進物便覧』(1811)が発行され、19世紀の『東都歳時記』には、七夕には冷索麺でもてなす、と書かれています。

ご先祖さまを迎える浄めの日
「乞巧奠」は中国の星まつりが伝来したものですが、7月といえば日本では祖霊を迎える「お盆」の時期。その行事の一環に取り入れられて、「七夕」は一般に普及しました。
「お盆」の前には、物忌み(日常の行為をひかえて穢れを避けること)をしなければならないため、「七夕」は穢れを祓う禊(みそぎ)の日、という考え方も生まれました。川で水浴びをしたり、合歓の葉を川に流したりする伝承もあります。